現在の物語進行度:初期・中期・末期
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世界最長の褶曲山脈。その高峰に、一軒の宿屋がある。現地では廃墟と同様に扱われているが、戸を叩けば宿泊ができるし、マップアプリにも登録されている。しかし掲載されている写真は十年以上前のもので、レビューは★1.2。 そんな見た目とは裏腹に、中は意外にも活動的であった。
「壁の中に騎士がいる!」
十六、十七歳ほどに見える、少女と思わしき人影が廊下の暗闇から出てきた。肩ほどのピンク髪を揺らしながらロビーへ駆けずり込む。幾何学模様の赤い絨毯につまづく。その勢いでツインテールについた飾りもお構いなしにでんぐり返しをし、カウンターにぶつかった。舞った埃が日光で照らされ、粉雪のように輝く。一時、静けさが戻った。するとカウンターに座っていた少年が、パソコンのモニターから視線を逸らさないままで口を開いた。
「壁の中に騎士。オチは?」
ブルーライトのせいなのか、元からなのか、その顔色は悪く、眼鏡が画面の文字を反射していた。
「オチなんて無いよ。さては信じてないね」
「信じてる信じてる。先週は単眼のヘビがいたもんな」
そう薄ら笑いで言うと、自身の片目をわざとらしく手で隠してみせる。瞬きをすると、顔の中心を叩かれた。
「そうじゃない! ベッドで丸まってて、猫みたいな目をしてた。なのに太い触覚が五本もあって、捕まえようとしたら壁の隙間に這って消えた。その日は飲んでないし、幻覚じゃないよ」
やけに詳細な見た目の情報を聞いてから、ようやく手を止めた。長い金髪を指でどけたのち、真剣な顔で問う。
「それ釣りネタにしていい?」
返事を聞かずにキーボードを打つ手を再開した。
『【ガチ】部屋に一つ目のヘビがいた件について』
一気に打ち終えたが、エンターキーは押さずに腕を組んで首をひねった。
「糖質すぎるか……」
「いいから! じるも来て!」
じると呼ばれた少年は、それを聞いていかにも面倒くさそうに椅子にもたれかかった。するとその椅子はいきなり方向転換して、そのままカウンター外まで引きずられた。
「ちょっと」
ピンク髪は、ボロ宿のデコボコした廊下を気にも留めずに椅子を転がし続けた。背もたれを押す手を叩くが、止まる気配はない。引っかかりそうになりながらもロビーを出て、廊下を突き抜けて、あっという間に一番奥の客室に着いた。明かりはつけっぱなしになっている。中の壁は、じるが眼鏡を掛け直すまでもなく、巨大な穴が開いていると伺えた。正面のシングルベッドに面した壁で、足元には剥がれた壁の欠片と粉が散乱している。そして何よりも、壁の中には銀色の騎士がいた。
「……さっきの音って、暴れてたんじゃなくて壁壊してたのか」
騎士を後回しにして、豪快に壊された壁に注目した。
「うん。金属探知機が反応したからね」
怒りから得られる希望はじるになく、呆れたように首を振って、車椅子と化していた乗り物から立ち上がった。近くに来てみると、身長が二mはあるだろうか、そんな騎士が慣れ親しんだ宿の壁に埋まっている。銀色がところどころ朽ちた甲冑が、部屋の中を向いて立っていた。壁の奥では、黒く変色したカビが模様を描いているように見える。物々しい雰囲気が、あたりを包んでいた。
「……カメラ回したら心霊写真撮れるかね」
「記念撮影? いいね!」
背後で歓声を上げたのち、ロビーへすっ飛んでいった。程なくして棚を引っ掻き回す音が聞こえ、じるは廊下へ一歩踏み出したが、甲冑をよじ登る小さな虫から目を離せずにいた。
予想していたより早く、ビデオカメラを携えて戻ってきた。もう既にレンズを向けて撮影を始めている。「ハイ、チーーズ」という声を聞いて、じるは無表情で歯を見せた。そしてすぐにカメラの後ろに回った。
「こいつ映せ、もっと近付いて」
指示通りに、手ブレを抑えながらゆっくりと騎士に近付く。まず頭部を映し、隙間から中を映した。そして胸のプレートへ下がり、隙間に埃の詰まった腕、最後に脛当てまで、全身を捉える。うろうろして様々な画角を試した。
「おけ」
じるが後ろからビデオカメラを操作し、撮りたての二分ほどの動画を選択する。二人は手元の画面を覗き込み、凝視する騎士のすぐ隣でビデオを再生した。
最初に映ったのは、酔いそうなほど振り回された映像だった。廊下から撮影を始めたらしい。そして、部屋の中で待っているじるの姿が映し出された。
「……これ俺か? 姿勢悪いな……重力おかしいだろ」
「静かに」
口に手を当て、集中して見るよう促す。やがて先程の「ハイチーズ」という嬉しそうな声が流れた。同時に、笑顔のじる——というより、歯科検診の様子を模したような風景。するとようやく、ぐっと騎士に近付いた。下から見上げるような頭部のアップから、暗くて見えない騎士の中身、そして各々のパーツ。続いて全身を映し出し、斜め左から、右から、下から……空気中を舞うチリを見て「オーブかな!」とピンク髪は騒ぐが、不可解なものは何も映っておらず、あるのはただ壁に沈んだ薄暗い甲冑だった。表面を反射光が移り変わるだけで、あっけなくビデオは最後まで再生され、停止した。
「まあ、雰囲気はあった」
じるは最初から期待していなかったかのようにあっけらかんと言い放ち、ビデオカメラをパタンと閉じた。しかしその顔は少し残念そうに見えた。
「ふつうだったね。ただの騎士。ねえ、この騎士はこんなところで何してたのかな。お客さんの夢を見てたのかな?」
「……壁の中ってことは、宿ができた時からここに? おっそろし」
その顔には恐怖よりも興奮が滲んでいるように見えた。ピンク髪は現実の騎士に視線を戻し、にこにこ顔で頭を叩く。
「よし、命名しよう。夢の騎士、ドリームナイトだ……そうだ、玄関に立たせようよ! 門番みたいにさ!」
思いつくなり、すぐさま胴体を抱えて引きずり出す。カビ臭さが動き出し、じるは片目を閉じた。
「ふう!」
自分より三十cm以上大きな体躯を持つ鉄を玄関まで運び、首筋には汗が滴っていた。何者かが入っていそうな威圧感だったが、騎士は二人がかりで運べるほどの重さであった。パーツの連結部がガチャガチャと音を鳴らし、扉横の壁に立て掛けられた。じるはキッチンへ向かい、蛇口をひねる音がしてしばらく、戸棚から底の深い鍋を取り出し、コンロに火をつけた。
「卵焼きが好きなんだっけ」
そのまま床に寝転んでいるピンク髪に、じるは問い掛けた。手には二つの茹で卵がある。それを見て素早く起き上がったのを見て、まだ殻のついた卵を渡した。昼というには少し早い時間帯であったが、時計を指標にした暮らしは誰もしていなかった。
水の入った容器に卵を沈めながら殻をめくると、甲冑の表面のように光を反射した白身があった。じるが一足先に剥き終わり隣を見やると、そこには爪で多くの傷跡がついた白身があった。ピンク髪は、まだ湯気が出ている卵をつつきながらさっきの問いに答える。
「卵焼きのぐしゃぐしゃした食感も好きだけど、茹で卵の黄身も好きだよ。ヒヨコになる予定だったって感じの見た目で」
水分を失ったもろい黄身が崩れる。
「どっちにしろ、生命の神秘を感じるよ」
少し不格好な姿勢で玄関に立っている空洞の騎士を見てじるは言う。
「釣りネタ決まったわ」
すっかり古びた木の看板に浮かぶ「The Dream-Comfort Inn」の字は、何度も重ね書きされた跡が残っていた。昨夜から続く雨脚は一向に止む気配がなく、宿屋のポリカーボネイト窓を大粒の雨が叩きつけている。すっかり雑音へと溶け込んだ大雨洪水警報は、麓の街でひとりでに鳴き叫んでいた。そんな悪天候のある日、ボロ宿の木組みの扉が珍しく叩かれた。
「……こんにちは」
カウンターに座っていたじるは、目だけ動かして玄関を見た。そこには自分と同じ年齢と思わしき少女がいた。黒いミディアムヘアは、大雨で濡れて顔に貼り付いている。すぐ隣に佇む甲冑に気が付くと、少し距離を保ち扉を閉めた。
「泳ぎが得意なんですね」
じるはそう言い放ち、煩わしさを隠すつもりもなく裏の小部屋に消えた。そしてすぐに大きめのタオルを手に戻ると、雑に丸めて投げ渡す。少女は、わずかに飛距離が届かず手前に落ちたタオルを拾い、体から足にかけての水分を拭き取った。
「宿泊するなら三千円ですけど。身分証あります?」
身分証を要求された少女は、一応ポケットのある場所に触れた。しかし、手元には身分証はおろか、現金すらも持ち合わせていなかった。すると、奥の廊下に面した階段から何者かが駆け下ってくる音がした。
「いらっしゃ〜い」
ピンク髪の少女が丸い頬で歓迎しながら、じっと踏査して微笑む。
「お客さん? こんなに濡れてどうしたの」
「……街が冠水したので」
それを聞いて、じるは眉をひそめた。
「冠水ったって、普通は南の都市に行きません? なんでわざわざ、こんなくだらない場所に」
くだらない場所と言っても自分が暮らしている宿の立地なのだが、事実、ここは高山の首都から外れた広野。来てもあるのはこのあばら家、それと群生するプヤ・ライモンディだけである。高所を目指すとなってこの方角へ向かうのは、現地の人間じゃあまり取らない選択であった。
「……この辺のこと、まだ何も知らなくて」
大雨の中1人、土地勘もなく、見たところ身寄りもいない。そんな訳有りの空気を読み取ってか、じるは深く溜め息をついた。
「……まあいいです。身分証無いなら名前だけここに書いちゃってください」
そう言って棚から宿屋帳簿を取り出した。捲られた紙の端はほつれて柔らかくなっており、最新の客の日付は二ヶ月も前のものであった。少女はカウンターに近付き、その下に名前を記す。
『亀井 世奈』
ピンク髪はじるの隣から覗き込んだ。
「かめいせな?」
「金無し世奈だろ。金持ってないらしい」
金を持ってないというじるの報告を聞きながら、両手で頬杖をつく。
「なんで無いの?」
「アパートに置いてきてて。無事か怪しいです」
「アパートって、麓の街?」
頷く世奈を見て、即座に答えた。
「取りに行けば」
決めたがすぐに、世奈の手を無遠慮に取った。その様子を見ながら、じるは手元にあったラジオの音量を上げ、ローカルラジオに周波数を合わせる。洪水被害を述べる平坦な声が聴こえた。
『……ダムでは、洪水吐ゲートを開放し、緊急放流を開始しています……』
「……街は完全に湖だぞ」
「じゃあボートだね」
ピンクの髪を翻しながら、瞬きする間にプランBに変えた。この頭の中では「街へ行く」という目的を覆す気など皆目無いのだろう。その特性を理解しているのか、じるは何も言わずに廊下の奥を覗き込んだ。
「爺が倉庫の鍵を失くしてなければな」
宿泊用の部屋が並ぶ暗い廊下の突き当たり、そこに位置する扉の窓から、一つ明かりが漏れていた。
「人がいるんですか?」
「風呂の受付ジジイ。タイタって呼んでるけど」
じるからそう聞くと、世奈は手を握られたまま引っ張られ、その扉まで連れてこられた。木製の床が所々軋み、沈む。
「タイタ〜」
呑気な声と共に引き戸が開かれた。途端、巨大な灰色の煙が二人を包む。巨大な玉手箱を開けた先には、座り込む人影が見えた。
「臭い!」
ピンク髪はずかずかと部屋へ踏み入り、正面の小窓を開ける。煙は夜風に流れ込み、部屋の湿った空気が入れ替わっていった。ブロックタイルの壁際にある人影が、徐々にその姿を表していく。色黒の肌に白い髭を伸ばした、民族のような出で立ちの初老。どうやらこの人がタイタらしい。見回すと無数の煙草の吸い殻が見つかり、その近くには、布団、数冊のノート、テレビなど、おおよそ脱衣場で見かけるはずのない物ばかりが散乱していた。世奈が動かない老人を注視していると、やがて髭で囲まれた口元が開いた。
「洪水で人が死ぬ日だからなあ」
そして続けた。
「ボートは庭の水道にある」
用は済んだと言わんばかりに去ろうとするので、世奈は軽くお辞儀をした。しかし回れ右をして部屋を後にした時、背中から声がした。
「なあシャーマン、——に躊躇うなよ」
現地の言葉なのか、世奈には途中の単語が聞き取れなかったが、ピンク髪は元気よく頷いた。
ロビーに戻ると、じるは適当に帳簿を遡っていた。靴を履きながらピンク髪は一瞥して問いかける。
「じるも来る?」
帳簿を閉じた。
「あんなボートに三人も乗るか。ぽまえらだけで行ってこい」
手を引かれて外に出ると、いつの間にか雨は止んでいた。出て左手にある水道に、防水カバーのかけられたボートが立て掛けてある。小ぶりだが、しっかりとした木の造りだった。ピンク髪は上機嫌で口をキュウキュウ鳴らしている。床に倒した後、それを両端から引きずるようにして持ち、山を下っていった。
世奈は、このピンク髪の少女が先程お爺さんに「シャーマン」と呼ばれていたのを思い出した。
「シャーマンっていう名前なんですか?」
「違う。名前は無いよ」
名前が無い。予測外の返しに束の間黙っていると、振り返って付け加えられた。
「シャーマンは名前じゃなくて、わたしの仕事。吐瀉を見て、解釈をして、自然や霊との交信で占ってあげるんだ」
その首には、確かに大量の天然石がぶら下げられていた。話された仕事の内容はよく理解できなかったが、要はスピリチュアルな職種だと世奈は察した。そうなるとこの浮世離れした派手な髪色も宗教的な理由だろうかと、密かに納得する。頭に向けられたその視線に気付いたのか、シャーマンは口を開いた。
「トゲトゲ、良いでしょ。可愛い?」
気付けば目の前には水没した街が広がっていた。道沿いに建てられた日干しレンガの家々は、まるでジオラマのように静かだった。建物が縁取る濁った水路にボートを浮かべ、シャーマンはにんまりと笑う。
「良いコースだね」
躊躇うことなく前方に乗り込み、二本の櫂を縦にして乗せる。世奈はその後ろに、不安になりながらも片足を乗せ体重をかけた。しかし思いの外ボートは頑丈だったので、全体重を預けることにした。
交互に櫂を動かし、目指すべき場所も定めずに直進する。見慣れない街の更に見慣れない光景であった。力加減を均等にするのは案外難しく、もっとも、世奈は単に水を掻くのさえ不器用でいた。しかしシャーマンの手つきには慣れが滲んでおり、広い水路といえど、二人はどこかに激突することもなく進んでいった。
「名前の無い人に初めて会ったんですけど、なんて呼んだらいいですか?」
世奈に呼び名を聞かれ、シャーマンは少しだけ驚いた顔をした。しかしすぐに空いた方の指を立てて答えた。
「ルーカスとか?」
西洋風の外国名である。
「ルーカス……」
世奈が呟くと、シャーマンは漕いでいた櫂を静かに止めて、真っ直ぐ目を見た。
「やめて」
「じ、自分から提案しておいて……」
「世奈が考えてよ」
理不尽な扱いに困惑しながら、世奈は頭を捻り沈黙した。そしてふと浮かぶ頭のトゲを見た。
「とげ」
「とげ?」
世奈が視線を送る自分の頭を触りながら、その名を復唱する。そしてこっ恥ずかしそうに笑い、口の端から出た泡を拭った。
「いいね」
満足気に。
「わたしとげ」
確かめるようにもう一度呼び、意味もなく世奈の肩を押す。それを受けて世奈は安堵したように表情を和らげた。そして、やり場のない手をなんとなくで水面に入れた。
すると、何やらぬめついたものが手の平に触れた。不快感から、すぐさま手を引っ込める。同時に、ゴン、とボートに何かがぶつかる音がした。顔を上げると、前方の水面に白い何かが見える。停止したボートが生み出す波紋によって沈んだり浮かんだりしているそれは、パイプのような大きさで、一本認識した瞬間、複数のそれに焦点が合った。
「……あれ、何ですか」
向かい合っていたシャーマン——とげは、振り返って前を向く。
「魚じゃない?」
生き物らしい表面ではあるが、明らかに魚ではない。
「……魚には見えません。鱗も無いし」
「うん。魚ではないね。ここは海じゃないし」
「でもさ、帰った方がいいね」
どこからか警報が再び鳴り響いた。今度は宿屋で聞いていた音よりもずっと近い。タイタの無責任な声が、なぜか世奈の頭に再生された。水害によって山を登ってきたのに、なぜまた降りてきたのか、世奈は思い出せずにいた。すぐさま引き返そうと櫂を漕ぎ出す。しかしとげは引き返すのではなく反対に、そのまま無数のぬめぬめに突っ込んでいった。
「そ、そっちじゃない」
しかし漕ぐ力は強く、ボートはみるみる世奈の進みたい方向とは逆に引き寄せられていった。ボートの至るところから、何かがぶつかる音がする。
「危険には最大出力で突っ込む」
「タイタはいつもそう言う」
世奈はほとんど泣きそうになっていた。警報は鳴り止まず、寧ろ大きくなっている気さえする。空はいつの間に薄暗くなっているし、狂ったように前に進み続けるボートの水音だけが、誰もいない街を占領していた。
「これからはとげって呼んで」
「……分かりました」
「あとついでに『ました』もやめて」
「……分かった」
ピンク髪のシャーマンは、目を細めてにこにこと振り返った。その横顔を、わずかに残る太陽の逆光が照らしていた。
執筆中
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_人人人人人人_
>coming soon<
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